こんにちは!南アフリカの自動車マーケッター x 海外MBAホルダーのマサ (@mappyinME) です。
この記事は、「【新興国駐在体験談 vol.4】入社3年目で海外赴任したら地獄だった(UAE駐在編)(リンク)」の続きです。
今回は、このような疑問にお答えする記事となっています。
「海外駐在って転職に有利なのかな?」
「転職活動ってどんな流れなんだろう?体験談を聞きたい。」
「海外駐在に行くとどんな能力が身に付くのかな?」
それでは見ていきましょう。
【新興国駐在体験談 vol.5】入社3年目で海外赴任したら地獄だった(UAEから転職編)
転職活動を始めたきっかけ
会社の経営危機
UAEでAV事業(Audio Visual)のビジネスプラニングを2年経験し、「購買・販売・在庫や収益管理」のコツをつかみ、商品企画や予算策定などの幅広い業務に関わり始めたころです。
かねてから悪化していた会社の経営状況が更に悪化し、銀行の借金を、更なる借り入れで返済するという悪循環に陥っていました。
従業員の給与はカット、希望退職を募り、会社の資産は売却。
このような状況が既に1年以上続き、同期が辞めていく話を耳にするようになりました。
人生について考え始める
会社の経営危機、伴う給与カットや希望退職、そして同期の転職をきっかけに、「自分の人生このままでいいのだろうか?」と考え始めました。
当時僕は29歳で、20代最後の歳を迎えていました。
世間では、「業界・業種を大きく変える転職、ポテンシャル採用は20代まで」が通説だったこと、同期が辞めて新しいチャレンジに乗り出すのを目の当たりにし、「いま出来ることはなんだろう」と考え始めました。
やりたいことを発見!「海外マーケティング」と「野球」
人生について考え始め、先ず今までやってきた幅広い仕事の中で最も楽しかったことを考えてみました。
それは、「海外マーケティング」でした。
マーケティングとは「市場を定め、ニーズを探り、製品を作り、コミュニケーションする」という仕事で、商品企画から実際に販売するまで一貫してみることが出来るため、自分でビジネスを創っている感覚、つまりオーナーシップを持ってビジネスを創り会社に貢献していると感じることができます。
この気づきは、海外駐在中の2つのプロジェクトがきっかけでした。
・サウジアラビアでの新製品のフルラインアップを導入し現地で販売促進をした特命プロジェクト
・AVビジネスプラニングでCIS諸国向けに調達した高利益製品の導入案件
もう1つは「野球」です。
僕は、高校は野球推薦で入学し、寮で3年間生活し、県ベスト4という成績を2度修めている一方、県代表にはあと一歩及ばなかった経験があります。
不完全燃焼感が心にのこっていたこと、身体が動くのは30代前半までという通説があったことから、「人生最後にもう一度、本気で野球をやりたい」という想いが内から湧いてきました。
UAEに駐在していては、「海外マーケティング」と「野球」の両方を達成することが難しかったため転職活動をすることを決意しました。
UAEから転職活動開始
まずは転職の情報収集
「マーケティング」を軸に転職活動をすると決めたものの、初めてのことなのでどこから始めて良いか全く分からず状態でした。
先ずは、「海外」という軸ははっきり持っていたので、転職経験のある友人からのアドバイスで、海外に強い転職エージェントに登録するところから始めました。
エージェントに登録するにも、日本語・英語で履歴書、職務経歴書を用意するのですが、就活以降まともに作ったことがないので、多くの時間を要しました・・・
業界は「メーカー」、職種は「海外マーケティング」に絞る
エージェントも、メッセージは「海外・マーケティング・年収600万円」に業界は未指定でざっくり要望を出したので、コンサルからメーカー、大学職員まで幅広く見ていました。
合計10以上のエージェントと面談し、様々な会社の条件や職務内容を見漁ったり、その業界で働いている人から話を聞くなど、情報収集をしばらく継続しました。
ある程度の情報を収集し、最終的には、業界は「メーカー(スポーツ・自動車)」、職種は「海外マーケティング」に絞ることとしました。
理由は2つ、今までの業務と親和性があることから早期に結果が出しやすいこと、単純に「好奇心が掻き立てられる」ためです。
・業界:メーカー(スポーツ)
・職種:海外マーケティング
・選んだ理由:現在の業務と親和性があり結果が出しやすいこと、ワクワクできること
UAE発!本格的に面接ラッシュ
2015年当時は、リモートで面接を実施する文化が現在ほど定着していなかったため、対面を前提とする企業が多かったためとても苦労しました。
一方で、当時からフレキシブルに対応してくれる企業もあり、対応が様々でしたね。
ここでは、転職の選考の実例を2つご紹介します。
転職面接例1【辞退編】:スポーツメーカー
「対面面接を前提とするスポーツメーカーさん」でした。
外国のブランドを扱っている日本の輸入・販売代理店で、若くて活気のある企業でした。
対面面接マスト!週末に日本に帰国
当時の僕は、UAEで働いているにも関わらず対面が前提、しかも「社内の都合」とやらで遅くとも金曜の夜20:00までしか時間を取ってもらえませんでした。
更に、面接のために帰国しているにも関わらず渡航費も一切出ません。
ただ、「スポーツに関わる仕事がしたい」と漠然と考えていたため、成長著しいこのスポーツメーカーさんに興味を持っていた僕は、面接のために日本へ帰国することとしました。
そのときのスケジュールがこちら。
対面面接への対応スケジュール
アラブ諸国は、当時は金・土が週末だったため、木曜の深夜に日本行きのフライトに乗り、金曜の夕刻に日本に到着してからそのまま面接に行く、という流れです。
2次面接後に若手社員の本音を聞く
1次面接に合格し、2次面接に臨むため2週連続で日本に帰国しました。
2度目の面接の調整の時も、「面接が前提で、金曜の夜20:00がタイムリミット。渡航費も自費」でした。
このようにフレキシビリティの低さにフラストレーションを抱えていた中、ある出来事が僕の面接辞退を決定づけました。
2次面接の帰り、21:00頃にこのスポーツメーカーさんの入社3年目の若手とエレベーターが一緒になったので、内部のリアルな話を聞こうと話しかけてみました。
まさ:
お疲れ様です。今日、面接で来ているのですが、実際に働いてみていかがですか?
若手くん:
新しい会社で活気もあり、頑張っていますよ。毎日日報を書いたり色々ありますが、毎日が充実しています。
まさ:
日報ですか、普段の業務の上に大変ですね。
・・・(歩きながら少し会話)
とはいえ、もう夜の21:00過ぎての帰宅って遅いですね。辛いとか思ったりしないんですか?
若手くん:
いやー、ぶっちゃけ言うと実際かなりきついっすね。
土日もイベントある日は出社ですし・・・正直、辞めたいっス。
UAEに帰国した翌日、面接結果を待たずに選考を辞退しました。
転職面接例2【内定獲得編】:自動車メーカー
「フレキシブルな自動車メーカーさん」の例です。
この自動車メーカーさんは、エージェントの方ととても密な関係にあったのか、書類を提出したら一瞬で審査を通過し、面接まで進むこととなりました。
そのエージェントさん、僕の作成した履歴書・職務経歴書に加え、僕との面談の後に作成したカバーレターを添付して下さり、A4の1枚で僕を推薦する理由などを先方に伝えてくれていました。
まさ:
エージェントさんの顔に泥を塗らないように、しっかりと準備して面接に臨もう。
カバーレターだけでなく、エージェントさんが先方の人事と、面接で聞く内容などを事前に調整してくださっていました。(優秀すぎる・・・)
エージェントさん:
もうすぐ組織変更があるようで、来年度の組織が100%固まっていません。まささんは、ご自身がやりたいことを話して頂ければ、相手方の方で部署マッチングするので大丈夫です。もちろんリモート面接ですので。
エージェントさんも先方の企業も本当にフレキシブル、ありがとうございます。
そして面接。予想外の発言で気が動転
面接当日、面接官は人事の方1名と配属予定部署の管理職2名の合計3名でした。
事前にエージェントさんから言われていた通り、「転職をする理由」や「転職活動の軸(海外マーケティング)」、そして「なぜ自動車メーカーを希望するのか」など答えていきます。
「ちゃんと答えることが出来た」と、自身の回答に手ごたえを感じ、面接も終盤に差し掛かったころ、面接者の1人から驚きの発言が。
面接官:
えーっとね、はっきり言うけどキミのやりたい仕事はうちじゃできないよ。マーケティングなんて仕事はうちにはないから。
えー・・・
さすがにコレには驚いて、何も言えなくなってしまいました。
来年度の組織が固まっていないから、僕はやりたいことを伝えて先方がマッチングするのではないのですか・・。
当時、転職活動が初めてで気弱だった僕は、気が少し動転してしまい、とんでもない策を取ることにしました。
まさ:
あの・・・、声が・・・、接続が悪・・・です。もしも・・、・・・しもーし(プチ)
接続を切り、仕切り直しするという暴挙に。
2~3分経って再接続すると、既に課長2名の姿はなく、人事の方より「別の会議があるので、面接は終了です」と告げられました。
意外な選考結果が届く
面接の後、エージェントさんからは「面接がどうだったか教えてほしい」と言われていたので、正直に「自分のやりたいことを話したら、うちじゃ出来ないよと言われたので、ダメだったと思います」と話しました。
すると、「なるほど・・・少々お待ちください」と、エージェントさんが先方の人事に即話をしに行って下さりました。
翌日、期待せずに待っているとエージェントさんから思いもよらない発言が。
エージェント:
次週、先方の人事の方がUAEに出張するとのことなので、そこでまささんにお会いしたいとの事ですが、ご都合はいかがですか?
優秀すぎるでしょう、エージェント氏・・・!
諦めていたなかでの1次面接の合格の嬉しいお知らせだったので、2つ返事でOKしました。
しかも先方の人事の方がUAEに出張があるため、現地での対面面接となりました。
なんてフレキシブルな会社なんだろうか。
UAEで面接、そして内定
エージェントさんのお力添えで、晴れて2次面接へ進むことができました。
しかもUAEで。
そして2次面接の当日。
面接官の方の宿泊先のホテルが家から徒歩2分のところだったので、15分前に到着。
そこで面接官の人事の方とお会いし、ホテルのラウンジで2時間ほど面接、というよりは配属先の仕事やビジョンの説明をしたり、面接あるあるの話をしたり、なんとも楽しい時間を過ごしました。
翌日には合格の通知が来て、今度は配属予定部署の部長さんとの最終面接の案内が来ました。
有難いことに、面接はまたもやUAE。
そして最終面接。
最終面接に至っては、ホテルのロビーで30分ほどマーケティング論についてのお話を伺い、残り15分はタバコにお付き合いしながら立ち話という感じでした。笑
そして数日後・・・
希望していた、「メーカー」の「海外マーケティング」の仕事のオファーを頂きました。
転職活動の結果:内定を3社からもらう
記憶に残る会社の選考経験を解説しましたが、最終的には3社より内定を頂きました。
・大手自動車メーカー:2社
・スポーツメーカー:1社
最終的には、前述した自動車メーカーのオファーを受けることとしました。
参考までに、僕が利用した海外系に強い転職エージェントを纏めた記事があるので、ぜひご覧ください。
もし海外系のキャリアを考えているのであれば、先ずは登録して情報収集をしないと、いつの間にか行きたい企業の選考が終わってたりしますので損しますよ。
そして転職へ・・・
自動車メーカーでの海外マーケティングのオファーを受け転職を決意したのち、今度は会社に報告をする必要があります。
当時、大変お世話になった社長や会社へ「本当に申し訳ない」と裏切るような気持ちになる一方で、「いざというとき会社は守ってくれない」ことを経営危機で学んでいたため、躊躇はありませんでした。
ちょうど社長も交代の時期だったので、次期社長の方へ辞意を伝えて、転職することが決まりました。
【余談】野球はどうなった?
UAEから帰国し、転職前に有休消化の期間が1カ月あったので、事前にコンタクトを取っていた軟式野球チームの活動に参加しました。
1つ目のチームが準企業チームで、グラウンドを所持し、監督や技術コーチもいるという素晴らしい環境だったので、練習会に参加した後に入団を即決しました。
結果、日本滞在の5年間で、東京都軟式野球連盟1部の都大会にて、ベスト8を2回達成しました。
各市区町村の1部の代表チーム(7割が実業団)が40チーム強集まるトーナメントで、実業団以外のチームがベスト8を達成するのは快挙でした。
【新興国駐在体験談】さいごに
最後までお読みくださりありがとうございました。
経験が少ないうちに海外駐在をすると、幅広い業務に携わるため、学ばなくてはならない周辺知識がとても多いです。
更に、新興国などに駐在すると、一般的に現地会社の規模も小さいため、高いポジションにアサインされ部下をマネジメントしなければならない可能性がとても高くなります。
そして部下も、言語・宗教・考え方が異なるため、「なんでこんなことも分からない or できないんだ!」と考えてしまうこともあるでしょう。
海外で働くのに必要な知識や経験と共に、「不測の事態に動揺しない強い精神力」や「凹むことがあっても回復できるレジリエンス」というソフトスキルも同時に身に付きます。
これらのソフトスキルは、どんな仕事をするにも必要な能力です。
さいごに、僕の現在の仕事をまとめた記事を置いておきますので、良ければぜひ見てみてください。
記事は以上です。